『分かり合えない事』を認め合う世界
久しぶりに投稿した記事が少しだけバズってびっくりしている山下です。
皆さまブログ見て頂いてありがとうございます。
たまたま書いた日に起きた事を書きましたが、介護の現場はあんな美しい話ばかりではありません。
ゴキブリ屋敷のお家の話や、お客様と話してるのに全然知らない人がずっと顔を近づけて話しかけてくる話や、夜逃げして介護ベッドごと無くなった話など、盛り沢山にはちゃめちゃな話があります。
それもまた違う機会に話していこうかなと思います。多分。
さて、今日はANYO男子勢で月一の呑みをしておりました。
ボーカルのしほは東京にいる為残念ですが参加は出来ず。
特に他愛もない話をしていて、僕の話になって。
最近、人の関心に対して興味が全く無くなっているのです。
自分的にはちょっとやばいなーと思っていて、何か感動しなくなったのかな?と思っていました。
が、今は本を毎日読まないと狂いそうになるし、仕事の事などは凄く興味があるのです。
20代の時は何処か他人にどう思われているか、が先行し興味がないことも沢山知ろうとしていました。
確実に僕は、他人の世界で生きていたのです。
30代になり承認欲求みたいなものが無くなり他人にどう思われるか、どう見られているかが無くなった時に、他人に対しての興味が全て自分に変わっていきました。
完全に矢印が自分に向いたのです。
そうなった時に興味がないものは興味がない
と言えるようになりました。
誰も好きって言わないけど、僕は好き
って事がめちゃくちゃ増えるようになっていったのです。
いいねの数が多いから好き、再生回数が多いから好き、誰々が好きって言ってるから好き。
それで好きになるのは全然否定もしないけど、自分自身はそれが無くなったって話です。
正直になって本当に楽になりました。
あーもう合わせなくていいんだって。
共感しないといけない空気や同調圧力みたいな声は、本当に良くない。自分の価値観を壊してしまう恐れがあるなと。
『俺この音楽めちゃくちゃ好きで、、』
『いや俺全然良いと思わないけどー』
で良いのです。
分かり合えない事
を認め合う事が非常に大事だなと思います。
ANYOでも自然にそんな会話が今日でていて
『俺あのバンド好きで。』
『全然好きちゃうわー。』
『へー。俺全然行けるけどね。』
この分かり合えない感じを普通に話してる事が最高です。
他人と考え方が違う事なんて当たり前だし、それに合わせていて凄くしんどかったなーって事をちょっと思い出した日でした。
分かり合えない事を認め合う世界がもっと当たり前になれば良いですね。